【譲渡企業】運送業の事業承継

創業者の願い・業歴60年を
超える運送業のこれから
廃業の方針からM&Aを選択

譲渡側
有限会社高繁工業(宮城県)
前社長 北郷 充雄様

電子部品生産事業の事業承継案件

社名に「工業」がつく理由

理工電気様

<事業の沿革を教えてください>
昭和33年に創業者で会長の父が鳶工事業を個人で始めたのが始まりです。そのときから屋号は高繁工業で法人化と業種変更を経てもそのままです。運送業なのに会社名に「工業」が入っているのはそのためです。
当初は大手建設会社の下請けで鳶工事をしていましたが、足場を保管する資材センターが岩沼周辺にいくつもあり、建築現場へ足場材を運ぶ運送業の需要が増えていたので、運送業に業種変更して今に至ります。
建設業界が活況の頃は会社自体も従業員も若さに溢れ、仕事はきつかったけれど充実感に溢れた毎日でした。
その後、だんだん不景気になり建設業界も冷え込んでいき、岩沼周辺の資材センターの閉鎖が相次ぎました。建設業界と同様に建材の運送業界も徐々に活気を失い、人材の確保に苦労する業種になっていきました。

事業存続の危機を超えて

<東日本大震災の津波の被害があったそうですが>
平成22年、高齢の父に代わり私が社長に就任しました。やっと社長業に慣れてきた頃、東日本大震災があり、当社にも1mの津波が押し寄せて床上浸水しました。所有していたトラックはすべて、海水でエンジンがダメになり廃車にしなければなりませんでした。
事業の継続がままならないと判断し一旦は全従業員を解雇しましたが、数カ月もすると復興工事の需要が高まってきたので、中古トラックを購入して従業員を再度雇用して新たなスタートを切りました。
仕事は順調でしたが、父は自身の病気と津波被害の経験から、積極的な投資はせずに借入金を減らし、いつでも廃業できるようにしておくようにと常に言っていました。

従業員の雇用を第一に考えて

<M&Aを検討するきっかけは何でしたか>
復興工事のピークが過ぎると先行き不安から廃業を考えるようになりました。金融機関からの借入金がなかったので簡単に廃業できるだろうと安易に考えていましたが、父は従業員の雇用継続を第一に考えて、M&Aで第三者に承継することを希望していました。
取引する信用金庫の支店長の紹介でAOBAさんに会ったときは、廃業とM&Aは半々で考えていましたが、すぐに複数の候補先を見つけてくれたので、父はM&Aをしようと決意した様子でした。

予期せぬ出来事

<M&Aの交渉はいかがでしたか>
小岩運輸さんは同業で保有車両も当社と同じ平ボディとクレーン付トラック、共通のお客様と取引があるなど最初から親近感を持っていました。交渉はとんとん拍子に進みましたが、最終の譲渡条件がなかなか合意できずにいたところ、父が体調を崩して入院することになってしまいました。それでも父は事業の継続と従業員の雇用継続を望んでいたので、当初の予定から遅れながらも何とか譲渡契約にこぎつけることができて、父もほっとひと安心したようです。

顔の見えるアドバイザーだからこそ

<AOBAの対応はいかがでしたか?>
何度も足を運んでくれて親身に相談に乗ってもらい感謝しています。廃業かM&Aか迷っていたときはそっと背中を押してくれたり、父が入院して気弱になったときは励ましてくれたり、常に寄り添って安心感を与えてくれました。

これからの運送業を見据えて

理工電気様代表

<M&A後について教えてください>
譲渡後は、専務だった兄とともに取引先や業務の引継ぎをしています。小岩運輸さんの指導を受けながら、私たちにはできなかった業務の効率化に取り組んでおり、当社も小岩運輸グループの一員として、これからはさらに成長していくと思います。
ずっと気がかりだった事業承継を果たした父は、老後を安心して暮らすことができます。 兄は趣味のライフル射撃、私は釣りをしながらのんびりと暮らすのが楽しみです。体が動くうちに日本中を旅してみたいですね。

AOBAから

初めてお会いした時から、会長は会社の存続とお客様との取引継続、従業員の雇用継続を気に掛けていましたので、御社の事業承継のお手伝いができて本当に良かったです。本日はどうもありがとうございました。